健全な妄想
散歩しているときは頭の中を空っぽにします。
先だっての休日の朝散歩していると
ある言葉が浮かんできました。
妄執
さっそく帰ってから辞書で調べると意味は
迷いの心から起こる執念
ある特定の考えに囚われてしまうこと
とありました。
散歩の場所が
利根川の河畔で刑務所の下ですから
ここは郷里の詩人萩原朔太郎が散策し
小石を川に投げていただろう所です。
浮かんだ 妄執という言葉
朔太郎のような文学者にはそれが膨らみ
詩にも小説にもしてしまうのかも知れませんが
我々には無縁であったほうが良いのです。
私のように人を治療するものにはとくにいけません。
わずかでもあれば浄化して無くすようにしています。
ところで妄執と
ふだん皆さんがよくやる
妄想
ちょっと似ています。
しかし妄想は妄執の母であるといえますが
健全な妄想は害のないオモチャであり
発明、発見の元でもあるのです。
おおいにやっていいんですよ。
健全な妄想ならば。
いつもありがとうございます。